山河海空

自然から日常生活まで,独自の視点でみていきます.

1953年5月29日 エベレスト初登頂,エベレスト登頂記念日

https://www.youtube.com/watch?v=nDbE00gV20k Sir Edmund Hillary - The Race for Everest

1953年5月29日,ニュージーランドエドモンド・ヒラリー Sir Edmund Percival Hillaryとシェルパ族(ネパールの高地民族)のテンジン・ノルゲイ Tenzing Norgayが世界最高峰のエベレストの初登頂に成功しました.

エベレストは地球上で最も高い山で8848メートルの高さがあります.ネパールとチベットの国境になっていて,現地では「サガルマータ」,「チョモランマ」と呼ばれています.

人間は空気の薄いところでもある程度までは順応して生きていくことができます.ところが8,000mを超えると動かなくても,そこにいるだけで消耗していきます.この高高度低酸素地域をデスゾーンとよんでいます.

ネパール側から登山する場合,通常デスゾーンより少し下のサウスコル(7,985m)という平地に最後のテント設営し,そこから頂上を目指します.サウスコルから12時間-18時間程度で山頂まで往復し,デスゾーンの滞在をなるべく短くするためです.

この様に,人間の生理的限界から考えても,エベレストの8,848mは登山可能すれすれのところにあることがわかります.

ヒラリーの登山時は,英国人登山家11名,ニュージーランド人登山家2名,ネパール人登山家2名,ポーター362名,シェルパ20名の総勢400名による大登山隊でした.

ベースキャンプの設営が3月で,登頂成功が5月29日ですから,なんと2カ月以上かけて登頂を目指したことになります.数百名の食料を数か月分用意するだけでも大変な事業だということがわかります.

第1次アタック隊はチャールズ・エヴァンズとパートナーのトム・ボーディロンでしたが,5月26日,頂上までわずか91mのところで酸素ボンベの不調により断念.第2次アタック隊のヒラリーとノルゲイが初登頂に成功しました.

一次アタックと酸素ボンベの仕組みが違うので,サウスコルから出発すると酸素が足りない計算だったので,なんとデスゾーンの8,500mでキャンプしてそこからアタックする方法に切り替えました.史上初のデスゾーンキャンプとなりました.

結果として,バックアップとして控えていたヒラリーとノルゲイがエベレストに初登頂しました.モンスーン季節の到来前スレスレの成功で,酸素,気候,体力などギリギリのところでプロジェクトを達成することができました.

「ビヨンド・ザ・エッジ」という映画には初登頂のギリギリの状況が克明に描かれています.

ちなみに日本人の初登頂は1970年5月11日に松浦輝夫氏と植村直己氏で,女性としては1975年5月16日に田部井淳子氏が初登頂しました.田部井氏の登頂は女性初の登頂成功でもあります.

現在までに,のべ5,000人以上が登頂しています.

https://www.youtube.com/watch?v=LjjryNaqyDM Virtual flight - Mount Everest in 3D / Virtueller Gipfelsturm: Der Mount Everest in 3D

https://www.youtube.com/watch?v=Or-StvJ4AlE Mount Everest documentary HD

エドモンド・ヒラリー https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC

今日はこれまで.ではまた.