室町幕府は別名足利幕府とも呼ばれます.実は栃木県足利市は歴史的に有名な足利氏発祥の地なのです.先日,縁あって栃木県足利市を訪れました.この町の印象と特徴について調べたことを加えてお話しします.
栃木県足利市の風土
東京から北北西へ70-80kmの位置にある足利市は足尾山地の麓にあります.関東平野の北端に位置していて,海から100km程離れているにも関わらず,市内の平地は30m程度でさほど高い所ではありません.市内を渡良瀬川が流れています.渡良瀬川から10kmほど南側を利根川が流れています.渡良瀬川の水は市内を流れている割には綺麗で都会の人はうらやましいと思います.
人口は約15万人です.佐野市,桐生市,太田市,館林市などが近くにあります.両毛線,東武伊勢崎線が都市間をつないでいます.両毛線は渡良瀬川の北側を川に平行に走っています.東武伊勢崎線は渡良瀬川の南側を走りますが,わざわざ足利市に立ち寄るように湾曲して川に接近しています.両駅間は500mですが,渡良瀬川の橋を越えて歩くと約15分かかります.
気候的には栃木県に位置していますが群馬県の天気に近く,市民は群馬県の天気予報を見ているようです.月別平均気温は最高が7月,8月で26℃,最低が1月で4.5℃です.
史跡足利学校
この町の見どころはなんといっても足利学校です.日本で最も古い学校です.創建については、奈良時代,平安時代,鎌倉時代など諸説があり,明確ではありませんが,室町時代の永享11年(1439年)関東管領の上杉憲実が鎌倉円覚寺の僧,快元を招き学校を再興しました.平成27年に日本遺産となりました.
天文18年(1549年)にはフランシスコ・ザビエルによって「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と報告されています.
ここでは儒学を研究教育し,室町時代に栄えました.室町時代後期から易学と兵学が加わりました.その後,武田信玄など多くの戦国武将に影響を与えました.豊臣秀吉の時代,代々集められた貴重な書物が京都に送られました.徳川家康はそれらを足利学校に返還させました.江戸中期から全国に寺子屋や藩校などが栄えたため,足利学校は衰えます.
明治になって足利学校は廃校となり,貴重な書物は持ち去られて古本屋に売られたり,歴史的な建物を壊してしまう計画も持ち上がり,大変な危機を迎えます.この危機は田崎草雲氏らの努力により何とか乗り越えられ現在に至っています.
足利市は足利氏発祥の地
室町幕府は別名足利幕府とも呼ばれ,この名前からも分かるように,足利氏発祥の地です.足利氏は平安末期から鎌倉幕府創設に至る頃,源氏一門として室町幕府の将軍家に至るまで力を付けていきました.その後,戦国時代に入る訳ですが,この足利は歴史上有名な名前として残りました.足利学校も理由なくここにできた訳では無いのです.
栃木県足利市には渡良瀬川が流れ,足利学校がある足利氏発祥の地のまとめ
栃木県足利市は東京から北北西へ70-80kmの位置にある
栃木県に位置していますが群馬県の天気に近い
この町の見どころは足利学校.日本で最も古い学校.
明治になって足利学校は廃校
足利氏発祥の地
足利氏は室町幕府の将軍家に至る
今日はこれまで.ではまた.