山河海空

自然から日常生活まで,独自の視点でみていきます.

今から150年前の明治元年1868年11月(新暦)の出来事

今年2018年は明治維新の1868年から150年目ということで,150年前に遡って月々の出来事を見ていきます. 1868年11月の出来事は以下の通りです.

1868年11月1日(明治元年9月17日),観音埼燈台着工(1949年に灯台記念日と制定) 1868年11月2日,史上初の標準時を英国ニュージーランド植民地が導入 1868年11月3日,米大統領選挙でユリシーズ・グラントが勝利 1868年11月26日(明治元年10月13日),東幸: 明治天皇が東京入りして江戸城を皇居と治定し東京城と改称 1868年11月27日,ウォシタ川の戦い

明治天皇が東京に入って東京が次第に日本の首都となっていきます.この時点では,東京案,大阪案,名古屋案など,さまざまな首都構想が浮かび上がって論争が続きました.

どこに首都が置かれるかということで,奠都(てんと),遷都(せんと),行幸(ぎょうこう),東行(とうこう),還幸(かんこう)という呼び方に神経を注いでいます.

当時は江戸城を東京城(とうけいじょう)と呼び替えていたのですね.文字通り東の「京」で,当初は「とうけい」と呼んでいたそうです.一時的な呼び名になってしまいましたが・・・.

京城(とうけいじょう) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9F%8E

ところで,江戸城の呼び方はいろいろと変わってきました. 日本最大の城であった江戸時代は江城(こうじょう)ととか,千代田城(ちよだじょう)とも呼ばれていました.明治になって,東京城と呼ばれた後は,宮城(きゅうじょう)となりました.現在は江戸城跡一帯を皇居と呼んでいます.ちなみに天皇の住居は吹上御苑にある御所,行事政務の場所は旧西の丸にある宮殿および宮内庁庁舎となっています.

皇居 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%B1%85

観音埼灯台|観光スポット|横須賀市観光情報サイト「ここはヨコスカ」 https://www.cocoyoko.net/spot/kannonzaki-toudai.html

参考

江戸末期-明治初期の旧暦表示と新暦表示

江戸末期-明治初期の旧暦表示と新暦表示について整理しておきます.日本の歴史的事実は明治5年末まで旧暦表記されるのが一般的です.ところが,現在は新暦を使用しているので,各月の季節感が少しずれています.

また,西欧史の表記と日にちが違います.ここでは当時の季節感を理解するために新暦表記を主にしてみました.明治初期の日時を扱う際には,新暦旧暦切り替えによる以下のポイントを把握しておく必要があります.

  1. 新暦とは現在使われているグレゴリオ暦(太陽暦)を表します.グレゴリオ暦はヨーロッパで1582年10月15日(金曜日)から実施されました.

  2. 旧暦とは明治5年12月2日(1872年12月31日)までの天保暦(太陰太陽暦)を表し,翌旧暦の明治5年12月3日は新暦1873年1月1日で,明治6年1月1日となりました.

  3. 日本で明治への改元は慶応4年9月8日の出来事です.

  4. 明治への改元新暦1868年10月23日となります(当時は新暦を使っていなかった).

  5. この年,慶応4年1月1日が後の(旧暦)明治元年1月1日となります.新暦では1868年1月25日.

  6. 新暦1868年1月1日は旧暦では慶応3年12月7日

明治5年末までは旧暦表示しかなかったので,現在のように旧暦・新暦変換の感覚はありませんでした.明治6年1月1日以降から現在のカレンダーと月日が一致しますが,明治5年までは旧暦なので月日の表示には要注意です.西洋史の日付と異なっています.

順番をたどって整理して考えれば理解できますが,勘違いしやすいです.時系列で表示すると以下のようになります.

新暦 ---------------- 旧暦 1868年1月1日 ----- 慶応3年12月7日 1868年1月25日 ---- 慶応4年1月1日(明治元年1月1日) 1868年10月23日 -- 慶応4年9月8日(明治へ改元) 1872年12月31日 -- 明治5年12月3(翌日が新年元日) 1873年1月1日 ----- 明治6年1月1日

今日はこれまで.ではまた.