山河海空

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708年8月10日 和同開珎(わどうかいほう,わどうかいちん), 発行

「和同開珎」と表記される日本で最初の流通貨幣が発行されたのが,和銅元年8月10日(708年8月29日)です.この貨幣の直径は24mmで裏面は無紋となっています.

この貨幣は約90年前の621年に唐で発行された「開元通寳」を模したものと考えられ,書体も同じです.さらに,直径も約24mmとほぼ同じ大きさです.

文字の読み方を「上・下・右・左」の順番で読む方法を対読と言い,「上・右・下・左」の順番で読む方法を廻読と言います.

当時,どちらの方法で表記されたのかわからないので,「和同開珎」は「和開同珎」だったかも知れません.同様に「開元通寳」も「開通元寳」だったという論争があります.

ちなみに「和同開珎」は和銅元年の発行ですが,この年に現埼玉県秩父市黒谷の和銅遺跡から,和銅(にきあかがね,純度が高い自然銅)が産出した事を記念して「和銅」に改元されました.

「和同開珎」はこれを意識して名付けられたと考えられますが,貨幣発行の計画はその前からあったと考えられています.

たった4文字なので,一文字一文字を推敲した末に「和同開珎」と決まったことと思います.お手本の「開元通寳」と「開」の文字が共通していることと,「和」と「同」の文字を使いたかった理由に思いを馳せてみれば当時の人の気持ちを察せるかも知れません.

また,「珎」の文字を使ったため,「かいほう」,「かいちん」,などの読み方論争が起きてしまいました.

お手本の「開通元寳」の「寳」の文字をわざわざ,うかんむりと貝を省いて,略字の「珎」にしたのはなぜでしょうか?公式の通貨なのに略字を使う理由は何だったのでしょうか?

「寳」の文字は画数が多すぎて,技術上(解像度)の理由があったのかも知れません.PC画面でも細かすぎて見にくい文字です.約50年後の天平宝字4年(760年)には「萬年通寳」が発行され,こちらには「寳」の文字になっています.

「珎」が「珍」の異体字で,「わどうかいちん」と読むのが主流ですが,「珍」の文字なら画数がおなじですから,技術上の問題は無いと思います.では,なぜ「珍」じゃないのでしょうか?

そもそも,「開元通寳」以来の中国銭,皇朝十二銭は「寳」が普通で,「珍」の例は皆無なのにどうして,「わどうかいちん」説が主流なのでしょうか?下記サイトに詳しく説明があります.

日本最古の通貨、「和同開珎」のホームページ http://wadohosyoukai.com/

「和同開珎」の謎がいつの日か明らかになる日が来ることを願います.

和同開珎 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E5%90%8C%E9%96%8B%E7%8F%8E

開元通寳 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E5%85%83%E9%80%9A%E5%AE%9D

萬年通寳 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%B9%B4%E9%80%9A%E5%AE%9D

無文銀銭 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%96%87%E9%8A%80%E9%8A%AD

富本銭 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%9C%AC%E9%8A%AD

異体字 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%97%E4%BD%93#%E7%95%B0%E4%BD%93%E5%AD%97

https://www.youtube.com/watch?v=JcSA5OpHUuM

NK.235 お金が生まれた地【和銅黒谷】に行ってみた!

https://www.youtube.com/watch?v=cNmCQRBPXLk

「和同開珎」誕生の地で金運アップ!

https://www.youtube.com/watch?v=Ot5wRGw38p4

日本最古の貨幣は「和同開珎」ではない!!!【おもしろ歴史雑学】

今日はこれまで.ではまた.