山河海空

自然から日常生活まで,独自の視点でみていきます.

「徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか」稲垣栄洋著 続き,味噌の話

本書を読み進むと,城には植物の知識を利用して武器や食料となる材料で築城し,兵糧攻めに耐えられる工夫や忍者も様々な植物知識をもっていたとか興味深い話が続きます.

味噌の話になって,味噌と戦国の武将が深く結びついているとは知りませんでした.

本ブログでも以前に赤味噌白味噌の話をしましたが,赤味噌こそが徳川家康をとその家臣団を支えていて,江戸に幕府を開いた後も三河赤味噌を取り寄せていたとのことです.

三河赤味噌

豆味噌は三河の特産品で中国から伝わったとされています.その後,発酵を早めるために米麹や麦麹をいれる麹味噌ができましたが,三河地域では台地上の地形の為,水田が作れず,米が貴重品でした.一方土地の痩せたところで育つ大豆はがあるので味噌を従来の製法で作って来ました.

中でも岡崎から八丁(約870m)離れたところにある八帖村の味噌は有名で八丁味噌と呼ばれています.

大豆100%の赤味噌は栄養分が豊富で様々な効能があると言われています.

信州味噌

同じく水田が少ない信州でも当時武田信玄が考案したと言われる陣立味噌を軍用食として活用し,海が無いことから塩の備蓄の観点でも味噌作りを奨励していました.

ちなみに,山梨のほうとうも信玄が広めた兵糧食と言われています.米がとれない地域では小麦,ソバ,雑穀などを栽培していたのでこれらを太い麺状にして持ち運びが便利にしておいたという事です.

仙台味噌

仙台は今では米どころですが,伊達政宗の時代は湿地で農業に不向きな上,江戸城改修など経済的な負担が大きく,米不足でした.それゆえに米を節約し大豆の多い赤味噌を作らせていました.

むすび

なぜ,味噌の話になったかというと,最近我が家ではチョットした味噌汁ブームで,しばらく冷蔵庫の奥に眠っていた八丁味噌が無くなってから,美味しい赤味噌探しをしている最中だったからです.

だんだん味噌のストックが増えて毎日の様に味噌汁を飲んでいるこの頃,本書は植物と歴史の本ですが,赤味噌をベタ褒めしているので紹介することにしました.

味噌とご飯は栄養的に補完しあって両者で完全食に近くなるそうです.また,幸せホルモンと言われるセロトニンのもととなるトリプトファンが含まれているとのことで,味噌汁を飲まないのはもったいないくらいに思えます.

数年前まで「減塩」がブームで味噌は天敵の様に扱われてきましたが,適度な塩分が無いと生きていけません.熱中症で倒れやすくなります.そろそろ見直されても良いのでは?

病気で医師に摂取を禁じられていないのであれば,適度に塩分を取るのは必要なことだと思います.

今日はこれまで.ではまた.