今年2018年は明治維新の1868年から150年目ということで,150年前に遡って月々の出来事を見ていきます. 1868年3月の出来事は以下の通りです.
1868年3月(新暦)の出来事
1868年3月8日:慶応4年2月15日,堺事件 1868年3月16日:慶応4年2月23日,寛永寺で彰義隊結成,太政官日誌創刊. 1868年3月23日:慶応4年2月30日,パークス英公使暗殺未遂. 1868年3月29日:慶応4年3月6日,甲州勝沼および野州梁田の戦い. 1868年3月29日:慶応4年3月6日,駿府に進軍.新政府は軍議で江戸城総攻撃が3月15日と決まる.
国内の動乱は1868年1月から始まった鳥羽伏見の戦いから,駿府に至ります.主戦場が江戸に移り,江戸総攻撃が慶応4年3月15日と決定されます.
ちなみにこれまでの経過は以下の通りです. 1867年:慶応3年8月-12月,ええじゃないか起こる. 1867年11月9日:慶応3年10月14日,大政奉還の上奏. 1868年1月3日:慶応3年12月9日,王政復古の大号令. 1868年1月26日:慶応4年1月2日,夕刻、幕府の軍艦2隻が、兵庫沖に停泊していた薩摩藩の軍艦を砲撃、事実上戦争が開始. 1868年1月27日-30日:慶応4年1月3日-6日,鳥羽・伏見の戦い. 1868年1月31日:慶応4年1月7日,朝廷において慶喜追討令,旧幕府は朝敵となる.
江戸末期-明治初期の旧暦表示と新暦表示
江戸末期-明治初期の旧暦表示と新暦表示について整理しておきます.日本の歴史的事実は明治5年末まで旧暦表記されるのが一般的です.ところが,現在は新暦を使用しているので,各月の季節感が少しずれています.
また,西欧史の表記と日にちが違います.ここでは当時の季節感を理解するために新暦表記を主にしてみました.明治初期の日時を扱う際には,新暦旧暦切り替えによる以下のポイントを把握しておく必要があります.
新暦とは現在使われているグレゴリオ暦(太陽暦)を表します.グレゴリオ暦はヨーロッパで1582年10月15日(金曜日)から実施されました.
旧暦とは明治5年12月2日(1872年12月31日)までの天保暦(太陰太陽暦)を表し,翌旧暦の明治5年12月3日は新暦の1873年1月1日で,明治6年1月1日となりました.
日本で明治への改元は慶応4年9月8日の出来事です.
新暦1868年1月1日は旧暦では慶応3年12月7日
明治5年末までは旧暦表示しかなかったので,現在のように旧暦・新暦変換の感覚はありませんでした.明治6年1月1日以降から現在のカレンダーと月日が一致しますが,明治5年までは旧暦なので月日の表示には要注意です.西洋史の日付と異なっています.
順番をたどって整理して考えれば理解できますが,勘違いしやすいです.時系列で表示すると以下のようになります.
新暦 -- -- -- -- -- -- 旧暦 1868年1月1日 ----- 慶応3年12月7日 1868年1月25日 ---- 慶応4年1月1日(明治元年1月1日) 1868年10月23日 -- 慶応4年9月8日(明治へ改元) 1872年12月31日 -- 明治5年12月3(翌日が新年元日) 1873年1月1日 ----- 明治6年1月1日
今日はこれまで.ではまた.