今年2018年は明治維新の1868年から150年目ということで,150年前に遡って月々の出来事を見ていきます. 1868年9月の出来事は以下の通りです.
1868年9月3日(慶応4年7月17日),江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書 1868年9月15日(慶応4年7月29日),戊辰戦争: 二本松の戦い,二本松城が陥落
1868年9月3日,明治天皇は江戸を東京と呼ぶ詔勅を発します. 「朕今萬機ヲ親裁シ億兆ヲ綏撫ス江戸ハ東國第一ノ大鎭四方輻湊ノ地宜シク親臨以テ其政ヲ視ルヘシ因テ自今江戸ヲ稱シテ東京トセン是朕ノ海内一家東西同視スル所以ナリ衆庶此意ヲ體セヨ 」
そして,今年2018年9月3日は江戸が正式に東京と呼ばれるようになってから,ちょうど150年となります.
1868年9月15日には二本松城の落城しました. この後,新政府軍は北の福島藩へ向かい,そのまま仙台藩を攻撃するか,西に向って会津藩を攻めるか,迷いましたが,会津方面に向かい,母成峠の戦いへとつながります.
https://www.youtube.com/watch?v=niDdR5wNGqc 二本松少年隊の悲劇
https://www.youtube.com/watch?v=WCthYjG-C-w 日本100名城巡り56 №11二本松城 2012/10/20
https://www.youtube.com/watch?v=Baq6Vms-k_U 二本松少年隊
参考
江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%83%B2%E7%A7%B0%E3%82%B7%E3%83%86%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%88%E7%82%BA%E3%82%B9%E3%83%8E%E8%A9%94%E6%9B%B8
東京奠都(とうきょうてんと) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A5%A0%E9%83%BD
東京150年 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/project/22122/%E6%9D%B1%E4%BA%AC150%E5%B9%B4/
二本松の戦い https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E6%9C%AC%E6%9D%BE%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
https://www.youtube.com/watch?v=uuq5hLisLaw IM動画ニュース 「東京」の誕生から150年 ── 江戸東京博物館で企画展
江戸末期-明治初期の旧暦表示と新暦表示
江戸末期-明治初期の旧暦表示と新暦表示について整理しておきます.日本の歴史的事実は明治5年末まで旧暦表記されるのが一般的です.ところが,現在は新暦を使用しているので,各月の季節感が少しずれています.
また,西欧史の表記と日にちが違います.ここでは当時の季節感を理解するために新暦表記を主にしてみました.明治初期の日時を扱う際には,新暦旧暦切り替えによる以下のポイントを把握しておく必要があります.
新暦とは現在使われているグレゴリオ暦(太陽暦)を表します.グレゴリオ暦はヨーロッパで1582年10月15日(金曜日)から実施されました.
旧暦とは明治5年12月2日(1872年12月31日)までの天保暦(太陰太陽暦)を表し,翌旧暦の明治5年12月3日は新暦の1873年1月1日で,明治6年1月1日となりました.
日本で明治への改元は慶応4年9月8日の出来事です.
新暦1868年1月1日は旧暦では慶応3年12月7日
明治5年末までは旧暦表示しかなかったので,現在のように旧暦・新暦変換の感覚はありませんでした.明治6年1月1日以降から現在のカレンダーと月日が一致しますが,明治5年までは旧暦なので月日の表示には要注意です.西洋史の日付と異なっています.
順番をたどって整理して考えれば理解できますが,勘違いしやすいです.時系列で表示すると以下のようになります.
新暦 ---------------- 旧暦 1868年1月1日 ----- 慶応3年12月7日 1868年1月25日 ---- 慶応4年1月1日(明治元年1月1日) 1868年10月23日 -- 慶応4年9月8日(明治へ改元) 1872年12月31日 -- 明治5年12月3(翌日が新年元日) 1873年1月1日 ----- 明治6年1月1日
今日はこれまで.ではまた.