山河海空

自然から日常生活まで,独自の視点でみていきます.

夏目漱石の草枕 冒頭部分だけを詳しく現代語で理解してみる

山道

山路を登りながら,こう考えた


山路を登りながら,こう考えた.智に働けば角が立つ.情に棹さおさせば流される.意地を通せば窮屈だ.兎角に人の世は住みにくい.住みにくさが高こうじると,安い所へ引き越したくなる.どこへ越しても住みにくいと悟さとった時,詩が生れて,画が出来る.草枕 夏目漱石

読むとなんとなくわかるような気がします.でも,100年以上前の表現なので現代の表現とは微妙に違います.「角(かど)が立つ」という表現は聞けばわかるけれどほとんど使われなくなりました.数十年後には意味が分からなくなっていることでしょう.強いて現代語で表現するならば「丸くおさまらない」あたりでしょうか.

「掉させば」とは渡し舟などで竿を川底にさしながら舟を押すのですが,情という流れて行くものに棹(竿)さしても川底ではないので舟を押し進められず、結局は流されてしまうということです.

もう少し詳しく説明すると,筏などを操ると経験できるのですが,竿を水中にさそうとして失敗し地面にささらず空振りすることがあります.この時,水の流れが強いと竿がブルブルと震えて竿を流される感覚が手に伝わります.このことを流されると表現しているのでは無いでしょうか.

厳密に言うと流されるのは舟では無く、竿を持っている腕の感覚で竿が流されると言うことでは?たぶん漱石は舟か筏の竿をさした経験があるのでしょう.

兎角(とかく)はとにかくと同じです.でも,兎角亀毛という漢語表現から来ています.これはウサギに角,亀に毛が生えることで,つまり本来の意味は現代語の「ありえない」です.辞書通りの「あれやこれや、いずれにしても」の意味なのか「ありえない」位住みにくい、の意味なのかというとどちらも意味を成します.

「安い所へ引き越したくなる」という表現は安価なところにでは意味が通じず,「住みやすいところへ引き越したくなる」と意味をとる方が自然に思えます.「安い」=「易い」と考えないと次の分につながりません.

どこへ越しても住みにくいと悟さとった時,詩が生れて,画が出来る.というのは,現実の世の中に理想的な居所が無ければ空想的な芸術に逃げ込むしかないというような意味でしょうかね.

以上たった100文字余の文ですが100年経ると理解するのにこれだけ回りくどくなります.次の部分につながります.

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない


人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない.やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である.ただの人が作った人の世が住みにくいからとて,越す国はあるまい.人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう. 草枕 夏目漱石

人の世を作ったのはただの人.ここまではわかります.ただの人が作った人の世が住みにくいからとて,越す国はあるまい.あれば人でなしの国へ行くばかりだ.は誤解しやすい部分です.

わかりやすく表現し直すとすれば次の様になるでしょう.ただの人が作ったしがらみだらけのこの世が住みにくいからといって,引っ越しするべき理想的なおとぎの国はないだろう.万一ただの人以下の人でなしの国へ行ってしまったらもっと住みにくいことでしょう.

これは前の文「住みにくさが高こうじると,安い所へ引き越したくなる.どこへ越しても住みにくいと悟さとった時,......」と似ている内容です.そして,次に続く文も似ています.

越す事のならぬ世が住みにくければ,住みにくいところをどれほどか


越す事のならぬ世が住みにくければ,住みにくいところをどれほどか,寛容て,束の間の命を,束の間でも住みよくせねばならぬ.ここに詩人という天職ができて,ここに画家という使命が降る.あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし,人の心を豊かにするが故に尊い. 草枕 夏目漱石

「......,詩が生れて,画が出来る.」と同じような内容ですね.そして,芸術の士は尊いと結んでいます.そして,物語が始まります.

現代的文章表現を開拓した漱石の表現は100年前の人です.当時と現代は環境も習慣も違うので感覚も微妙に違います.誤解しやすい部分がありますが,自分なりに自由に読んで良いと思います.意味が通じにくいと思う部分があったら,そこが現代と違う感覚の部分だと意識すれば面白い発見があるかも知れません.

今日はこれまで.ではまた.