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栗とサツマイモ

栗とサツマイモ

収穫の秋がやってきました.同時に秋は味覚のシーズンです.その中で昔からあった秋の食べ物の代表に栗とサツマイモがあります.

以前,「くりよりうまいさつまいも」の意味で,「九里四里うまい十三里(=サツマイモ)」を紹介しました.

江戸時代の栗とサツマイモ

江戸時代(寛成1789-1801年)小石川の芋屋さんのキャッチフレーズとして流行りました.芋の名産地の川越が江戸から十三里の距離にあることからサツマイモは十三里との別名がつきました.伊能忠敬の時代です.

一方,100年近く前になりますが,同じく江戸時代(宝永1704-1711年)の京都の芋屋が看板に「八里半」と書いてサツマイモを売っていたとあります.

これは栗(九里)には及ばないけれど八里半くらい栗の味がする.という意味です.

江戸時代には栗とサツマイモが味争いをしていたことが分かります.

よく見ると,何か変

ところで,宝永年間(1704-1711年)の京都の芋屋の話ですが,どうも時代が合いません.

サツマイモは1705年(宝永2年)または1709年(宝永6年)に薩摩に伝わり,1711年(正徳元年)に持ち出し禁止だった薩摩からサツマイモが持ち出され,伊予国瀬戸内海の大三島で栽培を始めたとあります.

一方,1719年(享保4年)に来日した朝鮮通信使の人の日記で、京都の日岡で芋売りの露天商があったとの記録があります.

また,青木昆陽が1735年(享保20年)栽培を確認したとの記録があります.

このことから,宝永年間にまだサツマイモは市販されていなかったのではないでしょうか?年代が合いません.また,青木昆陽が広める前にすでに京都の日岡で芋の露天商があったとはどういう事でしょうか?

参考:この時代の元号は, 宝永(1704-1711年),正徳(1711-1716年),享保(1716-1736年),- - -寛成(1789-1801年) となります.

栗とサツマイモ

さて,時代考証はさておき,栗とサツマイモが味で良い勝負をしていたことがわかります.

確かに味は似ています.なぜかというと,栗もサツマイモも香りの主成分がメチオナールという同じものだからです.

微妙な香りの差は栗に含まれるフラノンという成分で,これはイチゴやパイナップルに含まれています.

サツマイモは江戸時代に伝わった比較的新しい食べ物ですが,栗の方は古く,縄文時代から食べられていました.栗の生育条件は日本全国に適応しているため,大昔から主食として食べられていたようです.

クリのデータ

目:ブナ目 Fagales 科:ブナ科 Fagaceae 属:クリ属 Castanea 種:クリ C. crenata 学名:Castanea crenata Siebold et Zucc. シノニム:Castanea crenata Siebold et Zucc. var. kusakuri (Blume) Nakai Castanea japonica Castanea pubinervis Castanea stricta 英名: Japanese Chestnut 品種: ヤツブサグリ C. c. f. foemina タンバグリ C. c. f. gigantea ハゼグリ C. c. f. imperfecta シダレグリ C. c. f. pendula ハコグリ C. c. f. pleiocarpa ハナグリ C. c. f. pulchella トゲナシグリ C. c. f. sakyacephala

花:5-6月,クリーム色を帯びた白.香りが強く虫が集まります. 高さ:17m程になります. 葉:長楕円形か長楕円状披針形.鋸歯状.表につや,裏は色が薄いです. 実:9-10月,イガに覆われた実がなり,熟成すると栗の実が1-3個現れます. 原産:日本と朝鮮半島南部 分布:北海道西南部から本州,四国,九州 ただし,広く栽培され,中国東部や台湾まで分布しています.

今日はこれまで.ではまた.