山河海空

自然から日常生活まで,独自の視点でみていきます.

江戸時代の時刻について 2

12支

昨日は江戸時代の時刻は不定時法だったこと,「六つ」とか「九つ」と鐘の数で時刻を表していたことのお話しでした.

今日はもう一つの時刻の表し方である十二支による方法についてのお話しです.

十二時辰(じゅうにじしん)

十二支によって時刻を表す方法は十二時辰と呼ばれます.十二支とは,

子,丑,寅,卯,辰,巳,午,未,申,酉,戌,亥 が12支の要素です.

十二支それそれによみと時刻を対応させると,以下の様になります.

十二支 よみ,時刻 1. 子 ね , 九つ 2. 丑 うし, 八つ 3. 寅 とら, 七つ 4. 卯 う , 六つ 5. 辰 たつ, 五つ 6. 巳 み , 四つ

  1. 午 うま, 九つ
  2. 未 ひつじ,八つ
  3. 申 さる, 七つ 10.酉 とり, 六つ 11.戌 いぬ, 五つ 12.亥 い , 四つ

さて,この方式も数え方式も基本的には同じ構造です.これは中国の陰陽に基づく時刻表示方式で,本来は十二支方式です.鐘の音で時刻を知る時代でしたから数えの呼び方が普及しました.

正刻(せいこく)

正刻について,わかり易い様に時計の文字盤で説明します. 現代の時刻方式では短針が12から1までの間を12時としています.当たり前ですね.

でも,十二支方式や数え方式では,短針が11から1までを「子 (ね)」,「九つ」としています.

そして,短針12を正刻と呼びます.この場合正刻は子の刻の真ん中になります.

ちなみに,短針11を初刻(しょこく)と呼びます.

同様に丑,寅,卯...などそれぞれを「時辰」と呼びます.それぞれの時辰の始まりが初刻,時辰の真ん中が正刻です.鐘は毎正刻に鳴らしていました.

「正午(しょうご)」という言葉がありますが,丑の刻の正刻のことすなわちお昼の12時です.ちなみに,深夜の0時は子の刻なので,正子(しょうし)となります.

夜明けと日暮れ

再び明け六つ,暮れ六つに戻ります.日の出約30分前が「明け六つ」,日没約30分後が「暮れ六つ」でしたが,これを十二支にすると,「卯」,「酉」です.「明け」とか「暮れ」などをつけなくても良い訳です.

「夜明け」が「明け六つ」,「卯」の正刻です.また,「日暮れ」が「暮れ六つ」,「酉」の正刻です.

ここで問題となるのが「夜明け」と「日暮れ」の定義です.日の出の約30分前になると明るくなって日常生活ができる様になります.また,日没後も約30分は明るい状態が続きます.

当時は明るくなると作業を始め,暗くなると終える一日でしたから,夜明けと日暮れは日の出,日没と一致していません.詳しく見ていきましょう.

時刻,初刻,正刻など「刻(こく)」の文字が何度か出てきます.刻は分や秒と同じ時間の単位です.

一日は100刻です.これが基本です.歴史的には96刻,48刻,36刻など様々な刻があります.96刻だと15分になるので現在も中国で15分の表記に使われています.

さて,「夜明け」,「日暮れ」の定義ですが,江戸時代初期は日の出の二刻半前,日没の二刻半後と定義されていました.1日=100刻(等分割)ですので,二刻半=36分です.これが約30分前,約30分後と表現した理由です.

寛政暦 寛政十年(1798)-天保十四年(1843)の46年間採用

さらに,寛政の時代になると天文学が発展し,夜明け日暮れは,「太陽の伏角が7°21′40″」の瞬間と定義されました.

これにより,夜明け時,日暮れ時の明るさが季節や緯度によって変わることなく,ほぼ同じ明るさになります.

高橋至時(たかはしよしとき)間重富(はざま・しげとみ)らが改暦作業を行いました.高橋至時は先日お話しした伊能忠敬の師匠に当たる人です.

また,伊能忠敬の没後「大日本沿海輿地全図」を完成させたのは子の高橋景保です.

時辰の分割

平均2時間ですので,分割して時,分の様に分割してして利用していました.分は時の1/60ですが,当時は以下の様に分割していました.

2分割

一日12分割を西洋の24時間制に対応する為,2分割して,小時辰としました.略して小時.最初の小時を初刻,後の小時を正刻と呼びます.子初,丑正などと使われます.

3分割

時辰を上,中,下に分ける方法です.子の上刻,丑の中刻,寅の下刻などといいます.前回出て来た「亥中」は亥の中刻です.

4分割

時辰を一つ,二つ,三つ,四つに分ける方法です.子一つ,丑二つ,寅三つなどです.

草木も眠る「丑三つ時」などという表現が出てきたりします.ここで,「三つ」というのは丑の刻を4分割した3番目のことです.

三つめが正刻ですので,鐘が鳴る時です(3/4=1/2=半分,真ん中).

不定時法から定時法へ

時刻の表現方法を時法といいます.これまで,夜明け,日暮れを中心に時法を決めてきましたが,明治になり,定時法である西洋方式を取り入れました.

1873年(明治6年)1月1日から太陽暦に切り替わりました.それと同時に西洋式の1日24時間等分割の定時法である現代の時法となりました.

今日はこれまで.ではまた.

寛政暦 http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/B4B2C0AFCEF1.html

高橋至時と寛政暦 http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/CEF2BBCB2FC6FCCBDCA4CECEF12F4.B9E2B6B6BBEABBFEA4C8B4B2C0AFCEF1.html